当たり前のこと、小さな仕事こそ大事

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私はいつもこう思うのです。

誰にでも当てはまることなのですが特に
心に癖があり、何事も少しおかしな感じになっている方を見ると
“心の矯正”という意味を含め

「この人、これが出来るようになったら変わるだろうな~」

と遠目から観察することがあります。

出来るかどうか観察するのです。

もし、それが出来るのならその人は変わります。

もし、出来ないのなら
いつまで経っても変わらないだろうな~と
その人が変われるかどうかの判断材料にしています。


それは当たり前のことや
小さな仕事、誰からも注目されないような仕事こそを
気持ちよく、機嫌よく、工夫してやり遂げれるかどうかです。

よく若いうちは

「俺の仕事はこんなちっぽけなものではない!
もっと大きくでカッコ良くて華々しいものをするんだ!」

と意気込んだりするわけですが結局のところ


小さな仕事、誰にも注目されない仕事、
当たり前の仕事をささっと機嫌よくしかも質高くこなせた後に
大きな仕事、更なる上の仕事が出来るように
なっていることに気付きます。


仕事に上下を付けている人をみると
(それでうまくいっているならいいですがうまくいってない人しかみないです)
ほんとそう思います。


よくニートの方がTVで

「俺にはやりたい仕事があるんだ!
今はそれが出来ないでいるだけで、今に大きな・・・」

と言っているのを見かけますが
そういう思考を持つ方は他にもいらっしゃるのでは?と思います。


「こういう人々を相手に仕事をしたい!」

という人が居たら

「いま、目の前のお客さまを大事に出来ていないのに
次のお客さまを大事にできるのですか?
いまの目の前のお客さまが
あなたにお給料を出してくれているのでしょう?」

と言います。


そして、小さな仕事、誰も見向きもしない作業があるとして、
その人が嫌がる仕事があったとして
それをイヤイヤやっていたりする人が居ると

「その小さなものにさえ最高の愛情を
最高の意識を注げないようで
その上の仕事に何を注げるというのですか?」

と言いたくなります。

どんな仕事も選り好みせず、
一生懸命に愛情、意識を注ぐ人は大した人になります。

偉人の伝記や著名人のお話の中にも
そういった話は当たり前に出てくるかと思います。


人の人生は
その人が朝起きてから夜寝るまでのすべての質のトータルです。

影で、自分ひとりのとき
自分はどんな状態で何をしているのか、
自分の脳内はどんな状態なのか、何を考えているのか、
目の前の事柄をどう捉えているのか・・・

これらすべてが

その人の人生、脳内、性格、仕事の質、運気、成功度、
そしてもちろん良縁、経済が決まってきます。


「自分はいつも自分の”心の癖”のせいで
自分の人生をダメにしているな~他人との関係をうまく作れないな~」

と思う方はいらっしゃると思いますが

そんな“心”とは矯正できるものなのです。

体と同じです。

で、体と同じで一日二日では矯正できないものなのです。


だから私は日々の家事や自身の身支度など
出来る限りちゃんとするようにしています。


お給料が出るわけではない家事
他人様に褒めてもらえるわけではない家事
外出しない、誰にも合わないのであればどうでもいい身支度

口先だけで善い人を演じていれば脳内で何を考えていても
バレないかもしれないが

でも、それらも“自分の人生を構成する一部”なわけで
そこがいい加減だと、イヤイヤだと
その先にある本当にやりたい仕事がうまくいかなくなる


こういうことは
自身の人生の中で“何かを成し遂げた人”
であれば“当たり前のこと”
として理解してらっしゃると思います。


“心の矯正”をしたい方は
ぜひ今の自分の状況を冷静に眺め
目の前にいる人、目の前にある事柄、仕事を大切に
して欲しい。

そこに愛情を注いであげて欲しいと思います。


それが出来ないのに
更なるその上の領域で何かを成し遂げることは無理なのです。

これはしょうがない”宇宙の法則”なのだから。



部分を大切に出来ない人は全体を大切に出来ない。

部分を否定していては全体を作りあげることが出来ない。

なぜなら全体を作っているのは部分だから。

部分の集まりが全体だから。