親が「頑張り屋」だともれなくあなたも~考え方、生き方の遺伝~

今日は朝から立て続けに

「やろうとしたことが自分の意思とは関係なしにストップさせられた」

ことが起こりました。

些細なことなんですが、出鼻をくじかれ続け・・・


昔の私でしたらきっと

「今日は不吉な日だわ!何もしないでおこう!」

といった意味づけをしたことでしょう。

しかし今の私

ラッキー!今日は一日何もしないでいいんだわ!
 いつものんびりしてるけど、今日は更に何もしないでいられる!」


自分に都合のいい意味づけをしています。

そうすると普段よりも更に力が抜けて、

「そうか、人間って生きてるだけでいいんだ・・・
 それだけで歓迎されるに値するんだ」
と。


私は元々がとても頑張り屋さんでした。

私の母がとてつもない頑張り屋さんだったので
小さい頃から、そんな母を見て育ったせいか
私ももれなく「頑張り屋さん」に

その奥の思考は

「私は頑張らないと周りに認めてもらえない」

「私は頑張らないと価値がない」

というもの。

だから、
いつも頑張っていると自分が安心するのです。

頑張っていない自分がいると
人間失格のように感じていました。

何の価値もない、無用な人間だと・・・


私の中から、その古くこびり付いた考えが
数年前から日に日に無くなっていきましたが
ありがたいことです。


考え方、生き方の遺伝ってあるんですよ。

右も左もわからない、
育児を放棄されると死んでしまう存在だった私たちは、
まっさらな気持ちで、
両親などの周りの大人たちから
考え方、生き方、価値観を吸収
します。

その頃の子供にとって両親や育ててくれる大人は、
命を預けている神様のような存在ですからなおさら。

私の母は結果、ガンバリ屋さんが高じて、
早死にしたようなところがあります。


今日

「そうか、人間って生きてるだけでいいんだ・・・
 それだけで歓迎されるに値するんだ」

の想いで満たされていると
そんな母のことを想い出しました。

そして

「私の代で “頑張る” は封印しよう。
 もう、私の代で終わり。
 私が力を抜いてふんわり生きることは、母の一番の供養になる」

と、そんなことを想いました。


宇宙には本来、“頑張る”というものはありません。

“頑張る” とは、
いつからか人間が創りだしたもの
本来の宇宙のシステムの中には無かったもの。

本来は、宇宙の法則とは
ふんわり、やんわり、浮遊することなのです。


私は

「がんばる」
「がんばらない」

両方を経験しているので
ここら辺の仕組みがよ~く見えます。


「頑張る」を基本に生きている人には
面白いくらいに
頑張らなくちゃいけない状況が用意されます。

もれなく、「頑張り続ける人生」になります。

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さて、私の主人は腹が立つほどに頑張りません(笑)

しかし、
頑張らないでいる主人

頑張っている人と同じくらい
結果、うまくいっています。

頑張るという労力を一切出さないので
頑張る人よりはエネルギー温存できますし、かもしれません。

そして、頑張らない人には
不思議と周りの人が手を差し伸べてくれます。

ひょんなところから助け舟がいつも用意されます。

頑張って、左脳で考え抜き、用意周到な人には
到底想像も付かないような
サプライズが日々の中に出てきます。

「私が、俺が、一人で頑張らなくてはうまくいかないんだ!」

「誰も信用してないし、あてにしていない。
 私、俺が、一人で完璧にやればそれでいいんだ!」

頑張る人はこんな殺気立ったオーラを放っているので
余計に誰も手を差し伸べてくれません。

完璧を求めず、

「いつも、どんなことでも、不完全でよし!」

という気持ちで生きると・・・
うつ病や自殺も減りそうな気がします。

もちろん、無用な“焦り”もなくなりますよね。